笠取峠は雁取峠とも呼ばれる。近世五街道の一つ中山道は京都と江戸を結ぶ重要道路であった。徳川幕府は街道沿いに松や杉などを植えさせた。芦田宿の西方1㎞の地点から笠取峠にかけ約2㎞にわたり松並木がある。総本数73本(平成20年現在)の老赤松はいずれも150年~300年以上経たもので、その景観は、往時の中山道を偲ばせてくれる見事なものである。立科町では松並木周辺の旧中山道を公園化し保護に努めている。

笠取峠松並木の歴史
慶長2年(1597) 芦田宿立駅。小諸城主仙石越前守秀久は、岩間忠助と土屋右京野左衛門に芦田宿の立駅を命じた。この命を受けた両名が蓼科神社にその成就を祈願した願文の木札が現存している。
慶長7年(1602) 五街道整備。慶長6年(1601)に、まず東海道に伝馬を定め、翌7年より他の四街道を整備した。この頃から、一里塚の整備や街道筋に通行人の便(日除け、防風、防雨等)を計って松や杉を植えはじめた。芦田宿へ小諸藩から数百本が下付され、近隣の村人(現立科町内)により芦田宿西側から峠にかけて植樹された。これが笠取峠松並木の始まりである。これ以後今日までの長い間宿場や近隣の村人により手厚く保護されてきた。
享保元年(1716) 中山道と改める。
宝暦7年(1757) 笠取峠に茶屋小松屋あり、力餅を商う。(三国一の力餅)
文久元年(1861) 皇女「和宮」松並木を通り江戸へ下向する。
大正13年(1924) 長野県、松並木を調査する。この時、松229本が確認されている。
昭和42年(1967) 町文化財に指定される。
昭和60年(1985) 町内に「松並木を守る会」が結成される。行政、住民一体で保護、保存活動が行われている。
平成5年(1993) 松並木公園完成する。

松並木説明

笠取峠の松並木