土屋家は、慶長初期に中山道芦田宿が設置されたとき、その開発に従事するとともに、本陣を仰せつかり明治に至るまで、代々勤めた。
 江戸時代後期における土屋家は、客殿、主屋、問屋場、荷藏、酒造藏、長屋等多くの建物によって構成されていた。
 現在も、当時の面影を良く残している客殿が本指定物件で、これは中山道芦田宿本陣の客室部として、寛政12年(1800)に改築され明治維新まで大名、公家などの宿泊や休息に使われた。
 客殿は、間口5間(約9m)、奥行11間(約20m)の切妻造り、妻入り、桟瓦葺で屋根の前後に鯱(しゃちほこ)をかかげている。
 玄関は、唐破風とともに懸魚(げぎょ)、蟇股(かえるまた)、頭貫(かしらぬき)、肘木(ひじき)などで構築され江戸後期の様式を良く表している。
 内部上段の間は、床の間、違棚、欄間の透彫、組子細工等室内の意匠にも意を用いた書院造りであり京風の造作となっている。
 建物全体の規模が大きく、上段の間、広間、小姓部屋、湯殿、雪隠などがあり、客室部としての原形がほぼ完全に残され、江戸時代後期の建築物としては数少ない一つであり大切に保存されている。

芦田宿本陣土屋家住宅間取図

芦田宿本陣(客殿)玄関

旧中仙道芦田宿本陣跡碑

旧芦田宿本陣土屋家住宅説明