慶長年間、徳川幕府によってつくられた中山道は、近世五街道の一つであり、江戸と京都の交流を結ぶ役を果たしていた。
 芦田宿は中山道26番目の宿として、宿の町並みは、6町20間(約700m)文化元年(1804)には、本陣、茶屋6軒、商家2軒、医師3件、髪結2軒、按摩1軒などがあり、農家は45軒であった。
 文久元年(1861)11月7日、徳川14代将軍家茂に、公武合体のため降嫁された、孝明天皇の妹 「和宮」 の行列が芦田宿を通過された。
 笠取峠は長久保宿に向って(芦田宿に向って)急な上り坂を過ぎると、標高887mの笠取峠の茶屋跡に今は松林の中に立札が建っている。峠に吹き荒れる風に笠が吹き飛んだことからついた。
 中山道の松並木は慶長7年(1602)頃徳川幕府は、東海道などの主要街道の整備を始めた。冬は風雪を避け、夏は木陰で旅人を休ませるために、沿道に松や杉を植林した。この松並木は当時のもので、中山道ではここだけに残されており、県の天然記念物に指定されている。国道に沿って約100本の松並木が200m続いている。本陣は寛政12年(1800)の再建で芦田中央交差点の右に白い漆喰壁を見せているのが本陣土屋家。門の奥には、式台の付いた玄関、間口5間、奥行き11間の切妻造り、京風上段の間ほか広間、小姓部屋、湯殿、雪隠など客室の原形がほぼ完全に遺されている。

芦田宿説明

中山道芦田宿と記された大燈籠モニュメント

中山道股旅休憩所

男女双体道祖神

変則十字路に建つ中山道茂田井間の宿入口標柱

芦田川に架かる芦田川橋

変則十字路に建つ木製道標

←諏訪神社 ・ 芦田宿→