江戸時代末の望月宿は道幅が5間で、その中央を川が流れており、旅人や荷継ぎの馬などに利用されていた。
この石は、馬や牛などを止めるため利用したもの。馬には動かせないが、人が持てる重さになっている。
木樋
本陣を勤めた大森九左衛門家(大森小児科医院)
馬つなぎ石
道祖神
男女双体道祖神
蓼科山の五斗水水源から引いた用水に設置されていた。
全水量の9分(1尺8寸)を布施村へ流し、1分(2寸)を五郎兵衛新田村へ分けられた。
明治11年から17年にかけて水争いが起こり、その結果、9分と1分の分水が決められた。
木樋は昭和18年に畳石用堰として、布施村によって設置された。天然カラマツを刳り抜いた見事な樋で、これによりはるか村まで水が運ばれた。(教育委員会)