望月町案内図

坂の途中の馬頭観音

 瓜生坂から下る中山道は、自動車道を横切ってほぼ直行するように進んでおり、途中大応院跡や長坂の石仏群を通り、ここに至っている。
 大応院は、当山派の修験寺で、寺社奉行から出る命令や交渉事を司った触頭も勤めていた(上田市横谷家文書)。ここから2㎞程下った古宮の鹿曲川左岸の断崖にあった佐久補陀山観清寺の別当も兼ねていたが、末裔滋田家の本尊馬頭観音坐像や飯綱権現立像など、また長坂の古碑群を残して明治5年に廃寺になった。
 中山道は、ここから望月新町のあった鹿曲川右岸を下流に向って進み、西に折れて中之橋を渡り、大通りの望月本町に至っていたが、寛保2年の大洪水で新町が道ごと流されてしまい、その後、道とともに新町が移転された。そして中山道はこの長坂橋を渡り、枡形を通って新町が移転された東町の上り、北側にやや進行して望月本町を通る旧来の道とつなげられた。
 したがって、ここは初期中山道と変更後の中山道の分岐の場所である。
 (佐久市教育委員会)

寛政4年(11792)の馬頭観音

中山道長坂分岐点説明