成田山不動明王
創建年月未詳なれど、伝承に貞観元年(858)滋野貞秀公によると言われ、望月三郎公は鬼門除けの神として信仰されたという。
「吾妻鏡」 に 「佐久八幡宮御前20騎」 とあるを見ても当時の武将の崇敬の厚かった事が偲ばれます。
延徳3年滋野遠江守光重公建立の棟札に 「仰に彼八幡宮之其始雖送数百歳更不知建立始爰」 とあり、又 「建立始望月御牧中悉致本意云々」 とあり、当時御牧七郷の総社として七郷住民総発起の形で建立された事が考えられる。
その後、天正5年、武田信玄の臣武田佐馬助豊公、滋野卯月斉公馬場遠江守信重、息女弥保姫等によって修理。寛文4年酒井日向守公葺替、元禄11年石川美作守公葺替、さらに牧野藩主となっても代々崇敬篤く、元禄16年、享保9年、寛保元年、天明3年には康満公によって寺尾山、諏訪山の用材を頂き、両佐久、上小諏訪、上州方面からも寄進と相まって本殿の両再建立が行われ、旧本殿は高良社として祀られ、後文化14年、天保14年、嘉永7年、明治31年、昭和9年と営繕が行われ、今日に至っています。
御神徳は古くより地方の守護神として殖産興業、武神縁結び、その他深く厚く各方面の人々に重くj崇敬されています。
八幡神社由緒
御嶽山座生大権現
石祠群
石灯籠と境内社
諏訪神社
厳島神社
神庫
浅間大神と蛇を刻んだ石碑
石祠群
本殿 (左)
八幡神社拝殿
瑞垣門