構造
 三間一戸楼門、組物三手先腰三手先 中備蟇股 間斗束軒繁垂木 屋根入母屋造 妻虹梁大瓶束 本瓦葺
 楼門とは楼造りの門のことで、二階建ての門を言う。一階と二階の境は親柱に擬宝珠をつけた高欄の縁側を巡らしている。頭貫木鼻の唐獅子、各所に施されている彫刻など江戸時代末の特色を示す。門の両側の間には衣冠束帯に剣と弓矢を持った武官神像の随神を置く。
建立
 天保14年(1843)6月、今から150年前小諸藩主牧野遠江守康哉が大願主となり、数百本の材木を、またケヤキ材は川西地方村々の寄進により造営された。楼門高く懸かっている額は、明治時代奉納されたもので、戈を止めて武を為すと横書きされている。

 武は撫なり、止戈なり、禍乱を鎮撫するなり、禍乱を平定して、人道の本に復せしめ、敵を愛撫統一することが、武の本義なり。

 武の本義は、人と人との争いを止め、平和と文化に貢献する、和協の道を表した道徳的内容を持つものであり、いたずらに敵を殺し、闘争を求め、敵に勝つことのみが目的ではない。

八幡神社随神門説明

「止戈為武」 説明

随神門前の石碑と道祖神

八幡宮の扁額が掛かる両部鳥居

衣冠束帯の武官神像(右)

衣冠束帯の武官神像 (左)

止戈為武の扁額が掛かる随神門

随神門前の道祖神