ここは、もと瀧大明神の境内で、ケヤキの大木の根元から大量の清水が湧き出ていて、江戸時代中山道を往来する旅人も喉を潤した。塩名田の住民の中には茶屋・湯屋や佐久鯉を飼育するなどにも使っていた。傍らの林茶屋の看板は、「かどや」
の名が残る三階建ての家である。
昭和28年(1953)4月、塩名田区川原宿簡易水道組合ができ、組合員各戸へ給水もした。現状は水量が減少して利用者もわずかになっている。
十九夜塔は、暦で4月21日ころ、女性が集まって(講)、十九夜念仏を唱和して、健康の増進や出産の無事を祈念した行事があったことを示している。碑の裏面に、「天保10年(1839)乙亥四月穀雨講中」
とある。この穀雨
の日を女性の 「遊び日」 と決め、年の一日の楽しみを確保したのであろう。
この道祖神の石像は、明治40年(1907)頃建立したと思われる。その頃出来た黒い幕に、「川原町道祖神」 の文字と芸妓屋7軒の名が染め抜かれていて、このころの事情を物語る。
水準点は、ここの地点の高さを測ったら622.7mであるとの標識である。
中山道塩名田宿碑
お滝・十九夜塔・道祖神・水準点説明
旧中山道案内標柱
道祖神、天保10年(1839)の十九夜塔
ケヤキの根元から湧水が出ている