紅赤の発祥地説明

 江戸時代以来、関東でサツマイモといえば川越で、「アカヅル」、「アオヅル」 という良い品種を持っていた。
 ところが明治31年(1898)秋、浦和市北浦和(当時の木崎村針ヶ谷)で、それ以上のいもが発見された。
 発見者はここの農家の主婦、山田いち(1863-1938)だった。いちは皮が薄紅色の 「八ッ房」 を作っていた。それを掘っていると皮の紅色がびっくりするほど濃く、鮮やかで美しいいもが出てきた。八ッ房が突然変異したもので、形も味も素晴らしかったため大評判になった。
 いちの家の近くに、いちの甥で篤農家の吉岡三喜蔵(1885-1938)がいた。この新しいいもに惚れ込み、「紅赤」 と命名、それを広めることを使命とし、懸命に働いた。
 そのため紅赤(俗称金時)はたちまち関東一円に普及、「サツマイモの女王」 と謳われるようになった。川越いももむろん紅赤になり、その名声はますます上がった。
 昭和6年(1931)、山田いちは財団法人、富民協会から 「富民賞」 を贈られた。それは我国の農業の発展に貢献した人に贈られるもので、農業関係では最高の賞だった。
 今年、平成10年(1998)は紅赤発見から100年になる。さしもの紅赤も最近は新興の 「ベニアズマ」 に押されて振るわくなったが、このいもほど寿命の長いものはない。そこで山田、吉岡両家の菩提寺で、紅赤発祥の地にある廓信寺の一角に、この功績案内板を設置することになった。

地蔵菩薩

鐘楼

廓信寺本堂と秩父宮妃お手植えの紅梅

寺標と参道

仁王門

六地蔵尊