皎月原は旧中山道沿い、小田井宿と岩村田宿の中間、小田井宿よりの草原で、古くから指定地に関する古記録や伝説があって、中山道に於ける著名な名勝として知られている。
 伝説によれば、用明天皇(586)皎月という官女が、お咎めを受けて佐久郡の平尾へ流されてきた。いつも白馬を愛していた官女は、ある時、小田井の原へ馬を引き出して乗り回していた。ところが、天の竜馬だった白馬は、空へ駆け上がり、東西南北を駆け回った後、平尾山の頂上に立ち止まった。そこで官女は 「吾は唯人ではない。白山大権現だ」 と云って光を放って岩の中へ入ってしまった。その後官女は白山大権現と云うようになり、時々、小田井の原へ来て馬の輪乗りをし、その跡には草が生えなかったので、その所を皎月の輪と呼ぶようになったと伝えられている。
 ただ 「村上家伝」 の村上基国の伝記には全くの異説が載っている。
 (佐久市教育委員会)

むかしより かわらぬ影を うつしてや 月毛乃駒の 跡のみちしば

皎月歌碑説明

皎月原説明

 享保7年(1723)小諸藩の馬術師範で皎月原で押兼流馬術を修得したと伝えられる押兼団衛門長常という人が、当時の小田井本陣主安川庄右衛門に送った文書 「夢想皎月記」 の中に見られる。
 この古歌を昭和10年当時の御代田村が浅井冽氏に揮毫を依頼して建立したのがこの歌碑である。
 (佐久市教育委員会)

皎月歌碑

注連縄が巻かれた大石

皎月原入口に立つ2本の松

注連縄で結ばれた松の間に建つ石祠