小田井宿は天正年間(1573-92)に誕生し、慶長(1596-1615)以降、宿駅としての機能が整えられました。
昭和に入って数度の工事で、道の中央を流れていた用水路も南側に寄せられましたが、東・西の入口にあった枡形もわずかにその形を留め、上の駅・下の駅は茶屋など小商売が多く、中の駅にあった本陣・問屋・旅籠などが残り、当時の面影を偲ばせてくれます。
文久元年皇女和宮のご昼食休みに代表されるように、多くの姫君の休泊に利用され、「姫の宿」 とも称されています。
街道の繁栄期であった文化・文政期には、文政5年(1822)で199戸・人口524人を数えていますが、他の時代には小さな規模のお伝馬に生きた宿場であったようです。
町並みは寛延元年(1748)で7町23間(805m)ありました。和宮より拝領の人形が残され、それにちなんで8月16日には小田井宿祭りが行われます。
現在地は東の枡形です。
小田井宿説明
小田井宿の標柱が建つ東屋
小田井宿案内図