〔右、従是北国街道 左、従是中山道〕
中山道と北国街道分岐点に位置する 「分去れ」 は、今も賑わったありし日の面影をとどめている。
右は北国街道姥捨山の 「田毎の月」 で知られる更科へ、左は中山道で京都へ、そこから桜の名所奈良吉野山へ向かうという意味である。
(軽井沢町教育委員会)
中山道と北国街道の分岐点である。
「さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを 追分の宿」
とうたわれているように、ここを右すれば北国街道月の名所の更科や越後路に左すれば桜の名所吉野や関西方面に分れたところである。ここに幾多の旅人がさまざまな感慨をこめて左右に袂を分かったことであろう。
安置された石仏、石碑、石燈籠等に昔がしのばれる。
(軽井沢町教育委員会)
元禄6年(1693)の勢至菩薩
二世安楽追分町(正面)、従是北国海道(右面)、従是中山道(左面)
寛政7年(1795)の大乗妙典日本廻國供養塔
延宝7年(1679)の分去れ道標
安永3年(1774)の馬頭観音像
道祖神
安永6年(1777)の森羅亭万象歌碑
安永6年(1777)の子育地蔵尊
寛政元年(1789)の常夜燈
追分宿の分去れ説明
分去れの道標説明
台座に 「是より左 伊勢」 と刻まれている
台座に 「さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを 追分の宿」 と刻まれている
「世の中は ありのままにぞ霰(あられ)ふるかしましとだに 心とめぬれば」 と刻まれている
台座に 「牛馬千匹飼」 と刻まれている