江戸時代に 「入り鉄砲」 「出女」 といって当時恐れられていた武器鉄砲の動きや江戸屋敷に住まわせていた諸大名の奥方は人質的意義を持っていたので女人の出入は厳重に取締った。
したがって、女人は関所を避けて裏街道を通るようになった。これを女街道、または姫街道ともいう。
この街道はこれより本街道と分かれ油井釜ヶ淵橋を抜け風越山、広漠たる地蔵ヶ原をよこぎり和美峠または入山峠を往来したものである。
「関所さけて女人が多く往来せし女街道といふは寂しも」
(軽井沢町教育委員会)
女街道説明
女街道入口