「八万三千八三六九三三四四一八二四五十二四六百百億四百」 と刻まれている。

 この碑は、「やまみちはさむくさみしなひとつやに、よごとみにしむももよおしくも」 と読む。
 この碑は、昔、これより暫く下ったところにあり、弁慶が爪で書いたと言われていた。しかし、天明3年(1783)の浅間の大噴火とその後の水害で流失してしまったと言われている。
 この碑は、後に建て替えられたものである。
 昔の碑の拓本には、「八万三千八三六九三三四四一八二四五十二四六百百億四百(やまみちはさむくさみししひとつやによごとにしろくももよおくしも)」とある。

 碓氷峠熊野神社の境外社にして、御祭神貞兼命を父として貞光命当地に生を享く、橘性を名乗り文武両道に秀で、源頼光の四天王(渡辺綱、坂田金時、卜部季武、碓氷貞光)の一人として有名天下に響く。
 貞光命8世の孫、神崎太郎成兼は、寛元4年(1246)薩摩国阿久根城の地頭職知事として地域に貢献された名門家系である。 
 この貞光家系の力持ちにあやかり、碓氷貞光の力餅が有名である。

倒木

強風で倒れた碓氷貞光神社

一つ家の歌碑道標

不覚にも倒木を越える際に滑って左足を強打

道標の右手の筋を下って行く

一つ家の歌碑

一つ家の碑説明

碓氷貞光神社由緒