山中茶屋説明
山中小学校跡説明
山中茶屋跡
山中茶屋は、峠のまんなかにある茶屋で、慶安年中(1648~)に峠町の人が川水を汲み上げるところに茶屋を開いた。 寛文2年(1662)には13軒の立場茶屋ができ、寺もあって茶屋本陣には上段の間が2ヶ所あった。 明治の頃小学校もできたが、現在は屋敷跡、墓の石塔、畑跡が残っている。
明治11年(1878)、明治天皇御巡幸の時、児童が25人いたので、25円の奨学金の下附があった。 供奉官から10円の寄附があった。