寺号を月保山松久院洞松寺と称し、真言宗豊山派に属し金剛寺の末寺である。
 本尊は阿弥陀如来である。寺域は東西15間(約30m)、南北17間(約34m)で面積一反一畝歩(約1030.3㎡)である。
 開山は鎌倉時代の承久2年(1220)に字愛宕に創建されたと伝えられるが、東山道の道筋から考えると堂峰にあったようである。開基は僧俊恵で寺号を松久院東照寺と称していたが、応仁2年(1468)兵火にかかって焼けてしまったが、永禄年間僧如空が小寺を再建した。元和2年(1616)中山道の整備に伴って現在地に移転し、寺号も現在のように改め、朱印地は34石6斗を賜った。文化年間僧辨恵が中興開基となり檀家は坂本宿、刎石(はねいし)茶屋、山中茶屋および峠町までと大変広い地域であり、これらの人別帳を作成していた。
 墓域内には俳諧師として有名な琴湖(きんこ)(辞世の句・花の木の油断はならぬ嵐かな)、亀国(辞世の句・有明の牡丹に消る雲の影)や坂本駅初代戸長市川岸郎翁らが、ここに眠っている。また、この境内で奉納相撲も行われたと伝えられ、八幡神社に明治26年9月15日付で子供相撲の奉納額がある。

大日如来像と石燈籠

洞松寺由緒

五輪塔

男女双体道祖神

左から文化9年(1812)の念仏供養塔、文化7年(1810)の普門品供養塔、宝暦5年(1755)の廿三夜供養塔

左から文化9年(1812)の大願成就塔、庚申供養塔、南無阿弥陀仏名号碑