「碓嶺」 は安永9年(1780)代々旅籠を営んでいる 「中村屋」 に生まれた。
姓は仁井田であるが、中村碓嶺と呼んでいる。坂本は碓氷嶺が迫る景勝の地であるので俳号もこれに因んでいるものと思われる。
坂本宿は、街道文芸として俳諧・短歌が発達したので地元に多くの俳人が傑出した。
「碓嶺」 は、幼少よりこれらの影響を受け、40数㎞離れた本庄に住む長庵に師事し、遠路通ったという。そのため、めきめき頭角を現し、当時村上鬼城を横綱とすれば、高崎で西馬、坂本で碓嶺が両大関と云われるほどになった。
弘化3年(1846)没、67歳。辞世は、
明る夜を かくす雲なし 時鳥
屋号「中村屋」
俳人中村碓嶺説明
屋号「中澤屋」
梲(うだつ)が上がった屋号「米屋」