自性寺開基は不詳、一説に保延元年(1134)開創の寺伝を有す。大日如来を本尊とし、江戸期において、満雲寺・恵日寺・富士浅間神社等を、また明治に入り碓氷郡最古の寺と伝承される恵日精舎を合寺しその本尊十一面観世音菩薩を脇侍としている。
徳川幕府より御朱印を、本寺41石3斗、恵日寺関係12石3斗、満雲寺8石2斗、計61石8斗下付されていたが、明治維新後日枝神社別当職とともに上地悉く返納す。
開山行慶法印は、一説にこの地に寺を移したとされ、過去帳によるに応永6卯(1399)10月23日遷化す。爾来600年の法灯を刻む。ここにその御遠忌にあたり、報恩謝徳の心をこめて山内整備を発願し以下、箇条に記す事業を成満す。なお、明暦4戌年(1658)2月20日遷化せる中興開山辨秀法印は自らを2世とし、先代成願僧正もまたその功績によって法名に
「中興開山」 の称を得て現在に至る。
自性寺開山行慶行法印六百年御遠忌報恩謝徳事業記念之碑
六地蔵尊、供養塔
御堂の釈迦如来像と2基の神輿
自性寺墓地(中央に御堂がある)
向かって左側の塔・・・応永3年(1396)製作
基礎・塔身・笠・相輪から成る関東形式の塔で、塔身の四面に月輪を刻し、その円内に脂蔵界四仏が印刻してある。応永以降に流行する逆修塔で、この時期の特徴をよく備えた典型的な塔である。
向かって右側の塔・・・嘉吉3年(1443)製作
基礎に 「一結諸眾」 の銘があり、人々が結衆して造立したことが分かる。左側の塔に比べ、上段の造り出しが高く、九輪が太く短くなり、戦国期の宝篋印塔へ移行していく様子がうかがえる。
(安中市教育委員会)
山門前の男女双体道祖神
子育地蔵尊
宝篋印塔説明
自性寺本堂
自性寺山門
念仏供養塔、法華供養塔、六地蔵尊
宝篋印塔