当地蔵堂のご本尊延命地蔵菩薩像は、大永5年(1525)松井田小屋城主安中忠清が、原市んい榎下城を築いて移り住むとき、かつての故郷越後国新発田より近戸明神、米山薬師と共に城の守護佛として勧請したと伝えられている。
 像は木像寄木造りで、総高1.15m、金箔半跏趺坐像で、室町時代初期の作と推定される。霊験あらたかな秘仏として100年に一度御開帳される。
 なお、日本三地蔵(新発田、八本木、壬生)の一つとして善男善女の崇敬を集めた。特に江戸時代、高崎城第2代城主酒井家次(慶長9年~元和3年)は、この地蔵菩薩に深く帰依した。ある夜、夢のお告げにより、御堂を改築、秘仏の前立地蔵尊像を寄進し信仰を怠らなかった。
 参勤交代のため、中山道を往来の諸大名も下乗下馬(騎乗のまま通れば仏罰により落馬するという)して参詣したと伝えられる。
 御利益は除厄消災、子育安産、延命招福その他私たちの諸々の願望を叶えて下さる有り難いお地蔵様である。

八本木延命地蔵尊縁起

八木本地蔵堂説明

 八木本地蔵堂の本尊地蔵菩薩像は、頭は円頂(剃った坊主頭)で、体には袈裟と衣を着用し、普通の僧侶の姿をしている。秘仏として御開帳を100年目毎にする定めとなっており、霊験あらたかで、日本三地蔵の一つであると言われている。
 様式は、田舎造りで素朴の中に威厳と気品を備え、頭頂が扁平になっていることなどから、造像された年代は室町時代初期のものとみられる。
 (安中市教育委員会)

寛永2年(1625)の安中最古の庚申石祠

三界萬霊塔

南宗書家中島清素先生幷婦人墓

延宝2年(1674)などの二十三夜供養塔

安永2年(1773)、文化10年(1813)などの五輪塔

馬頭観音、庚申塔など

足元に切り落とされた頭が3つあるあるので後から付け替えられたもののようである。

六地蔵尊

八本木地蔵堂(本尊は100年毎に御開帳)

天保6年(1835)の聖徳太子孝養の像