火防守護の神として信仰される当社の夏祭りは、旧中山道に露店が立ち並び、賑やかである。
この日に雨が降ると火伏の神であるので、却って喜ばれる。
「安中志」 には愛宕大権現 祭神 伊弉冊尊迦遇突智命 本地仏将軍 地蔵菩薩 一、例祭正月六月廿四日」 と記されている。
創建の由来は、弘化2年(1845)の手水鉢、御神徳奉賛額の大山融斎撰文に依ると、元禄年間に祠を祀り、柳沢豊昵の夢告によって手水鉢を奉納したとある。「旧市史」
の記事では、文武天皇、醍醐天皇の御代に霊地として信仰を受けたとされ、境内は古墳であった場所である。
旧別所は本山派修験の千寿院で、裏の墓地にその面影を残している。明治の神社合併の際に、熊野神社に合祀しようとしたが、愛宕は火の神、熊野神社の末社諏訪神社は水の神であるから、宜しくないということで合併しなかったという話が伝わる。
水利に不便な町中では、火災が一番心配な事であるから、火伏の信仰は現在も脈々と続いている。
庚申塔
街道脇に建つ常夜燈
愛宕神社由緒
稲荷社石祠と石灯籠
参道石段と鳥居
愛宕神社拝殿