当院は、宝勝山蓮光寺と号する真言宗寺院で、ご本尊は十一面観音菩薩です。
 開山は、寺歴では宥巌とされていますが、「新編武蔵風土記稿」 では、開山を宥照、開基を蓮沼村の名主新井家の先祖、新井三郎盛久としています。
 当初、南蔵院は荒川低地にあった 「道生沼(どうしょうぬま)」 の畔(坂下2丁目24番地付近)に建っていましたが、度重なる洪水によって現在地に移転したといわれています。この移転伝承は、隣接する氷川神社や、蓮華寺(蓮根1丁目10番)と同様のものであることから、当該地域における歴史的環境の変化と、村の対応などを考えていく上で注目されます。
 なお、移転の時期は、長らく享保期(1716-36)とされてきましたが、それ以前の正保期(1644-48)に作成された 「武蔵国図」 を始めとする絵図類には、すでに蓮沼村や南蔵院などが現在の位置に描かれていることから、その時期は大きく遡るものと考えられます。
 また、享保7年11月25日に行われた8代将軍徳川吉宗による戸田・志村原の鷹狩りに際しては、当院が御膳所となっています。
 境内にある庚申地蔵は、承応3年(1654)に庚申講中が造立したものです。また、安永6年(1777)と文化元年(1804)に建立された南蔵院石造出羽三山供養塔の台座には、蓮沼村・前野村・小豆沢村の講員70名のお氏名と房号が刻まれており、当該期の出羽三山講の様子を知る貴重な資料となっています。これらは、区の有形民俗文化財に登録されています。
 (板橋区教育委員会)

南蔵院由緒

庚申地蔵・供養塔・庚申塔

街道沿いに立つ南蔵院寺標