小野良佐栄重(おのりょうすけえいじゅう)の墓
小野良佐栄重は、宝暦13年(1763)碓氷郡中野谷村に生まれた。栄重は、江戸で関流算学者藤田貞資の門下で算学を学び、更には伊能忠敬について天文学を学び、海岸線の測量にも参加した。また、天文、暦術、算術に関する図書の編集にも関係し、寛政9年(1797)には郷土板鼻に和算塾を開き、、文化8年(1811)には恩師藤田貞資の遺命で関流数学師範の免許皆伝が伝承され、関流六伝の家元として日本和算数学界の中心的地位を授けられた。
「上毛の数学栄重を得て始めて大なり」
天保2年(1831)没す。
(安中市教育委員会)
小野良佐栄重説明
南窓寺山門
本堂
六地蔵尊
観音堂