烏川を渡って中山道を西へ進み、この地より右に折れる道は信濃国(長野県)へ通じるいわゆる信州街道で、古くは 「信州みち」 と呼ばれていた。また、草津温泉へと通じる道でもあることから 「草津みち」 とも呼ばれていた。
 現在、八坂神社のあるこの場所が、かつて信州みちが通っていた場所であり、2つの道しるべがあった。そのうちの一つ 「下豊岡の道しるべ」 は、高さ198㎝、厚さ36㎝の大きさで、安山岩で造られた尖塔角柱の道しるべである。碑面の文字から草津温泉をはじめとする温泉地への案内を主な目的として造られたものと思われる。なお、左側面のみ文字の彫り方が異なっているが、道しるべが建てられた後に彫られたためであろう。造られた時期は江戸時代末期と推定される。
 もう一つは、国道406号線と旧中山道との分岐点に移されている小さな自然石の道しるべで、これには 「右はるなみち、くさつみち」 と刻まれている。
 「下豊岡の道しるべ」 は、本来は中山道と信州みちとの分岐点であるこの場所にあった。明治時代に現在の国道406号線ができた際に、一旦は今 「自然石の道しるべ」 がある場所に2つとも移された。さらに昭和34年頃の国道406号線の拡幅に伴い、県道(旧国道18号線)との分岐点にこの道しるべのみ移されていた。高崎市の文化財に指定するにあたって、本来の所在地であるこの地に戻したものである。
 (高崎市教育委員会)

(右面)

従是 神山三里・三ノ倉五り半・大戸九り半

(正面)

草津温泉 かわなか・かわらゆ温泉・はとのゆ

(左面)

左中仙道 安中・松井田・横川

下豊岡の道しるべ説明

八坂神社