由緒
 天正年間(1573-92)井伊直政公が伯母である恵徳院宗貞尼菩提の為、箕輪日向峰に一宇を創立し松隆山恵徳院と号した。
 慶長3年(1598)直政公和田城入城の折に此の寺を城北榎森に移し松隆山東向院恵徳寺と改めた。当時寺領20石5斗の御朱印地であった。後の城主酒井家次公の時、慶長9年(1604)~元和2年(1606)の間に現在地「赤坂」に移る。

開山
 群馬郡箕郷町瀧澤寺第4世勅特賜大光普照禅師龍山永潭大和尚に依り開山。この禅師は箕輪在住の頃より直政公の信任厚く、或る時 「和田の名称を松崎と変えたいが」 の問いに 「松は枯れる事があるが高さには限りがない、その意をとって高崎は如何か」 と進言した処、直政公大いに喜び 「高崎」 と命名したと云う。

無縁供養塔

恵徳寺由緒

十一面観世音菩薩

大きさの異なる六地蔵尊

生類之霊供養塔

恵徳寺本堂