将軍の孫
大正7年、第12回文展に「将軍の孫」「ある日の夢」出品。「将軍の孫」は麦わら帽をかぶり拳手の礼をしている少年像であり、当時、青山にあった学習院の幼稚園と府中刑務所(東京府中市)に設置された。
現在、井の頭彫刻園2号館の前に置かれているが、井の頭公園のみならず、神代植物公園(東京府中市)、彫刻の森美術館(箱根)をはじめ各所に置かれたこの像を見かけた人も多いほど、誰にでも好かれている作品の一つである。この「将軍の孫」のモチーフは、当時5歳の長男治禧氏であった。
治禧氏は「3歳ころから、アトリエの回転台に乗って遊んでいたのを覚えています。私はよくあの像(将軍の孫)のような麦わら帽を被っていましたね。」
と語ってくれた。ただ敬礼したことは覚えていないそうだが、アトリエには橘中佐像制作のために、中佐の剣や軍帽などが送られて来ていて、その遺品から帽子を取り出して被り、ぶかぶかの軍靴をはいて西望に敬礼したのではないか、そして、それを見た西望は、大変微笑ましく感じたからと言われている。
北村西望(きたむらせいぼう)
明治40年(1907)京都市立美術工芸学校(現京都市立芸大)彫刻科卒。
同年、東京美術学校(現東京芸大)彫刻科入学。大正元年(1912)卒。在学中の1908年第2回文展で「憤闘」が初入選。1915年第9回文展で「怒涛」が2等賞、翌第10回文展で「晩鐘」が特選となり、若くして頭角を現す。1921~1944年東京美術学校教授。1922年曠原社の西ヶ原彫刻研究所を開設。1925年40歳で帝国美術員会員となる。戦後は、日展彫刻武門の中心メンバー。主題を平和に移す。1955年に4年の歳月をかけて長崎の「平和記念像」を完成。1947年日本芸術院会員。1958年文化勲章受章。
北村西望(せいぼう)説明
ハープのモニュメント
彫刻家・北村西望の 「将軍の孫」
高崎城址公園の堀