新町諏訪神社は、江戸時代の高崎について記した地誌 「高崎誌」 によれば、慶長4年(1599)、箕輪城下の下ノ社を勧請したことに始まるという。本殿は土蔵のような外観を持つ珍しい総漆喰の塗籠造で、しばしば大火に見舞わられた高崎の町にあって、大切な社を火災から守るための工夫だったとも考えられる。平入り・入母屋造の建物は一見すると二層のように見えるが、実は裳腰(もこし)をつけた平屋建で、外壁の下半は海鼠壁(なまこかべ)となっている。本屋根と裳腰の間には手の込んだ七賢人の漆喰彫刻が施されている他、波しぶき、飛龍、四隅の牡丹、正面の鳥居に付けられた躍動感あふれる昇り龍・下り龍など、随所に見事な漆喰彫刻を見ることができる。
 この神社は享保14年(1729)、文化4年(1807)の二度に渡って火災に遭っており、近年の修復工事の際にも屋根材や彫刻の骨木の一部に、その痕跡が確認されている。礎石背面には文化11年(1814)の刻銘があり、建築的な特徴などを考えあわせ、この建物が元の社殿の部材を利用して再建が行われたことが推測される。高崎城下の名所の一つでもあったらしく、太田蜀山人の 「壬戌紀行」 の中でも紹介されるなど、当時から町の人々、往還を行く旅人たちの目を和ませていたことがわかる。
 信州諏訪にゆかりのある御宝石は、重さ約8㎏の鶏卵型の石で、宝篋印塔の屋蓋を裏返しにしたものを使った台座に安置されている。
 (高崎市教育委員会)

諏訪神社本殿

新町諏訪神社本殿及び御宝石説明

本殿と一体化した鳥居に掛る諏訪神社の扁額