江戸時代は大日山と号し、区内唯一の天台宗寺院であったが明治4年廃寺となった。その後明治14年旭不動堂と称して成田山新栄講の道場となり、昭和22年真言宗寺院として復活、現在は成田山新勝寺末寺となっている。
 境内は宿場時代の馬つなぎ場で、幕府公用の伝馬に使う囲馬、公文書伝達用の立馬、普通継立場などが繋がれていた。境内に祀られる寛政10年(1798)建立の馬頭観音と宿場馬を精巧に模倣した駅馬模型にそのなごりを留めるのみである。
 また、堂内には上宿に居住した町絵師柴左一の画いた明治期の板橋遊郭千代本楼遊女道中の扁額が納められている。
 (板橋区教育委員会)

弘法大師霊場の標柱

遍照寺由緒