和田城と興禅寺の境内を描いたこの絵図は、縦51.5㎝、横36.5㎝の大きさで、天文~天正年間(16世紀)頃に描かれたものと思われる。烏川に沿って和田城、鎌倉街道などが描かれており、鎌倉街道に面した興禅寺境内の様子を伺うことができる。高崎城築城以前の姿を知ることのできる貴重な文化財である。
 興禅寺は、旧市内では一番古いお寺で、新田義重を開基として、治承元年(1177)に創られたといわれている。
 その後、寺が衰えていたのを、和田城城主の和田右兵衛大夫信輝が再興して菩提寺とした。もとは広大な敷地を境内としていたが、井伊直政により高崎城が築かれたとき境内は狭められ、さらに天保年間に今の場所に本堂などが移され現在に至っている。
 (高崎市教育委員会)

和田城並びに興禅寺境内古絵図説明

本堂に掛かる覚王殿の扁額

興禅寺本堂

興禅寺山門

山門脇の延宝6年(1678)の観音像

み足跡

庚申塔

六地蔵尊