今は昔、安政2年(1855)春3月、倉賀野宿に大火災が起きて見る影もない焼野ケ原と化した。人々は、百姓九右衛門宅が火元だと言うので、九右衛門火事と言伝えている。
 時もあろうに、丁度お彼岸の中日であった。「火事だ・・・」と叫ぶ声は、人々を恐怖のどん底にぶち込んだ。火事場に巻き起こる風は唸りを呼んで物凄く、見る見る中に倉賀野宿一面に拡がって、まったく手の下し様がなく火炎地獄さながらに燃え盛るのであった。
 ここに、あまりにも不思議な言伝えがある。
 この猛火に遭い、全宿悉く舐めつくされたと云うに、只一軒・・・・、それは、丁度 「関東大震災」 の折りの 「浅草の観音様」 の如く、ポツンと焼け残った旧家があった。
 町の古老は、この不思議をこう伝えているのである。
 この荒れ狂う猛火の中に何処からともなくスーッと姿を現した、見るからに崇高な大天狗・・・。その旧家の庭先に植えられた楓の老木から樅の大木に、そして屋根の棟へと飛び移って、じっと炎々の虚空を睨み、形容の出来ない昂奮の中に、防火よく勤めたとでも云うか、口に法文を唱えていたという。さしも暴威を極めていた猛火も翌朝になって鎮まった。鎮まったと言うよりは、焼くべき何物も無くなったと言うべきであろう。
 大天狗を目撃したと言う人々は、この家では 「古峯様」 を常に信仰しているので、古峯神社の天狗が来て助けて下されたのに相違ないと、まざまざと見た記憶の底から甦ってくる慈悲の姿に打たれておったと言うことである。
 なお、この旧家では先祖からの不思議な言伝えがある。
 大天狗が飛び移ったこの 「樅の古木」 に毎年 「初幟」 を立てると、いつの間にか、この 「初幟」 が無くなって、その都度 「古峯神社」 に納まっていたとのことです。
 怪奇と言うか、不思議と言うか、このあやかしの物語に登場する 「楓」 と 「樅」 の老木。ついこの頃まで、道行く人々に、その上の出来事をそっと話しかけていたと言う。
 伝説を秘めた 「楓」 と 「樅」 老木は枯れ、数年前に現在の木に植え替えられました。

中山道倉賀野宿高札場跡碑

伝説「樅(もみ)の木」の由来