当山は院号を普賢院、山号を笛木山、寺号を専福寺と称する。真言宗智山派に属し京都東山にある智積院を本山としている。開山は万治3年(1660)仙雅房賢宗を開祖とし、清水家代々の守り本尊、光背台座共7寸程の不動明王を安置した。寛文6年(1666)の大火で類焼にあい、その際不動尊が火災中、東方へ飛んだのを本陣の伊左衛門が見たと伝えられている。
 その後、本尊が無いので清水家が京の仏師に依頼し、元禄7年(1694)に寄進された不動明王が現存している本尊である。(小林伊左衛門文書より)
 安永3年(1775)第7世容賢の代に総意再建が始まり、竪7間横6間の本堂を建築、12月10日棟上げ、宿役人全員参集し、棟上の餅米4斗7升氏子用、米5斗3升寺人用、惣氏子に酒、そばを振る舞ったと記録がある。(田口家文書より)
 中山道新町宿常夜燈再建願いを文化5年(1808)、専福寺住職第9世賢顕と町役人一同が上申している、また、神流川の大水で旅籠 「高瀬屋」 に足止めされていた小林一茶が専福寺世話人に見通し灯籠建築資金の寄進を求められ12文寄進した話は 「一茶七番日記」 に記されている。(新町町誌より)
 また、昭和54年に関端誠次氏より両親の菩提を弔うための梵鐘が寄進されたのを機に2年後の56年12月に檀信徒の浄財を得て鐘楼が完成し現在に至っている。

専福寺由緒

推定樹齢300年超のクス

推定樹齢300年のカヤ

専福寺本堂

庚申塔

六地蔵尊

庚申塔