天正10年(1582)6月19日、織田信長が本能寺に倒れた直後、関東管領瀧川一益は信長の仇を討たんと京へ志し、これに対し好機至れりと北条氏は5万の大軍を神流川流域に進めた。
瀧川一益は義に重んじ勇猛の西上州軍1万6千を率いて、石も燃ゆる盛夏の中、死闘を展開し、瀧川軍は戦死3,760級の戦史に稀なる大激戦で 「神流川合戦」
と呼んでいる。
後世古戦場に石碑を建立し、首塚、胴塚も史跡として残され東音頭(あずまおんど)にもうたわれ、神流の清流も今も変わることなく清らかに流れている。
神流川古戦場跡碑
地蔵菩薩と対の常夜燈
神流川合戦説明