昔、善光寺如来という仏像が、大阪の海から拾いあげられ、長野の善光寺に納められることになりました。
その仏像を運ぶ人々が、青墓の近くまで来た時は5月の中頃でした。近くの山々は新緑に覆われ、つつじの花が咲き乱れる素晴らしい光景です。善光寺如来を運ぶ一行は、小さな池のそばでゆっくり休み、美しい景色に見とれました。一行はここで昼飯(ひるめし)をとしました。
ここから、この付近を昼飯(ひるめし)と言うようになりました。しかし、その呼び名が下品であるというので、その後、飯の字を 「いい」 と音読みして
「ひるいい」 と呼ばれるようになりました。でも、「いい」 は発音しにくいため、「い」 の一字を略して 「ひるい」 と呼ばれるようになりました。また、ここの池は一行が手を洗ったので、「善光寺井戸」
と言われ、記念に植えた三尊杉の木も最近まで残っていたということです。
(大垣市青墓小学校)
昼飯町(ひるいちょう)の由来
善光寺如来が、難波より信濃へ向かう途中、お昼の供養をした関係から、建久6年(1195)に僧の定尊が、村東の花岡山の上に三尊仏を安置し、名を如来寺としました。後年、織田信長の兵火にあい当地に移り、秘仏となりました。又、御本尊の開帳は15年に2回行われています。
御本尊は、善光寺の分身仏としては日本で最初のものです。特に、一体分身の如来といい、現在は大垣市重要文化財の指定を受けています。
(大垣市青墓小学校)
如来寺の由来
観音堂の三十三所観音
観音堂の三十三所観音
観音堂中央の弘法大師像
観音堂
常修梵行 善光寺四十八願所 第三十六番
本堂の扁額
鐘楼
街道に面した地蔵堂
善光寺分身如来碑
地蔵菩薩
参道 <山門は改修中で本堂が見えている>
享保4年(1719)の南無阿弥陀仏名号碑
改修中の山門前の地蔵堂
地蔵堂の地蔵菩薩
如来寺本堂