江戸時代、中山道赤坂宿の脇本陣は、当家一ヶ所であった。大名や貴族の宿舎である本陣の予備に設立されたもので、本陣同様に処遇され、屋敷は免税地であり、領主の監督を受けて経営されていた。
 当所は宝暦年間以後、飯沼家が代々に亘り、脇本陣役を勤め、また、問屋、年寄役を兼務して明治維新に及び、その制度が廃止後は独立し、榎屋の屋号を用いて旅館を営み今日に至っている。
 (大垣市赤坂商工会観光部会)

榎屋旅館の看板

脇本陣跡説明

中山道赤坂宿脇本陣跡標柱