所郁太郎は我が赤坂の生める幕末の志士にして至誠奉公、赤心事に当たり終に身を以って国事に仆る
 本年戌辰の年に当たり市制七十周年記念事業として当地赤坂町にその像と詩碑を建立する

 天保9年(1838)中山道赤坂宿醸造家矢橋亦一の四男として誕生 ~ 慶応元年(1865)3月12日吉敷の軍営で病死 享年28歳 墓は山口市東三舞と赤坂妙法寺にある  ~ 尚 元治元年俗論党に襲われ瀕死の重傷をうけた井上聞多(後の明治の元勲井上馨)を手術し畳針で縫いその一命を救った話は小・中学校の教科書や伝記・小説にも紹介されている                     所郁太郎奉賛会

和宮は弘化3年(1846)仁孝天皇の皇女として誕生された。万延元年(1860)幕府は公武合体により朝幕の融和を図ろうと皇女和宮の降嫁を請願した。 ~ かくて翌文久元年10月20日京都出発、道を中山道にとり25日、ここ赤坂本陣に宿泊され ~      皇女和宮史跡保存会

和宮の碑文

碑文

所郁太郎解説碑

和宮之碑

中山道赤坂宿本陣跡碑

所郁太郎の像