巣鴨の中仙道沿いにある庚申塚は、江戸時代から近郷近在に聞こえた名所でした。江戸と板橋宿との間にあり、行き交う旅人たちで賑わっていたと伝えられ、その様子は 「江戸名所図会」 にも描かれています。現在では、特に庚申の日ともなると、近くの 「とげぬき地蔵(高岩寺)」 の縁日(毎月四の日)と同様に多くの参拝者があります。庚申塚では町内会の人たちが、参拝者に対し、季節ごとに趣向を凝らした食事を作ってもてなしています。
 「江戸名所図会」のなかの茶店の屋根の葦簀(よしず)の上に見える石塔は、庚申塚のいわれを裏付けるものです。現在、この石塔は当地の小さな社に鎮座し、その銘文によれば
明暦3年(1657)に造立されたものということがわかります。これより以前、文亀2年(1502)に造立されたといわれる石碑がありましたが、今は無く、「遊暦雑記」 では、この塚の下に埋められていると伝えています。
 また、この庚申塚には、お猿さんが祀られているというように言われていますが、これは、この巣鴨近辺の有志が、明治初期、千葉県銚子市にある猿田神社から猿田彦大神を分祀したという歴史的事実によるものです。

庚申塚説明

街道沿いにある社標

拝殿

赤い布をまとった猿

台座には三猿(見ざる聞かざる言わざる)